今回は無名な人が発信活動を継続する意味ということについて話していきたいと思います。
こんなことを話すお前はだれ?!って感じだと思うので、軽く自己紹介すると、私マツはこのブログ運営を始め、YouTube運営、noteでの発信など各媒体を利用して発信しているこのタイトルと同じ無名な人間その1です。
もう1つ補足で私の運用歴を紹介しておくと、この投稿を準備している時点でブログ運営とYouTube運営が3年目に突入して、noteでの投稿が半年くらいだったと記憶しています。過ぎ去ったことは記憶から抹消するタイプなので、うろ覚えな点は申し訳ないです。
では早速無名な人が発信し続ける意味を話していきましょう。
あなたは原石なんです!
宗教の呼び込みみたいな見出しスタートですみません!
ひとまずこれを書いている私やこれを読んでいるあなたも含め、無名な人というのはいわゆる原石なんです。これは誰がなんと言おうが間違いなく原石です。
宝石などの貴金属をイメージして欲しいんですが、ああいったアクセサリーとかって、磨かれたり加工されたり誰が見ても綺麗!価値がある!と太鼓判を押してくれる見た目をしているじゃないですか!
そもそもの話をするとそういった宝石や貴金属なんて、加工前を見ると本当にこれが宝石?貴金属なの?という疑問の声があがりそうな見た目をしているものです。
初めに私もあなたも原石なんだ!という話をしました。であれば、有名な人と無名な人は何が違うのかというところを確認してみましょう。
有名な人はすでに磨きや加工が終わっているいわば完成品ともいえます。逆に原石に分類されるあなたや私はどうなのか。原石ってそもそもどこにあるでしょう?
原石ってそのまま宝飾品店にあることも稀にあるかもしれませんが、基本的には誰が見ても綺麗な状態に整えられたものだけが店頭に並んでいますよね?では原石はいずこへ?ということになりますが、考えてみましょう。
原石です。名前の通り元は石。石というとその辺に転がっているかもしれないし、場合によっては人がたどり着けない山奥や谷底、山の奥深くに埋まっているかもしれません。
ここまで考えるだけでも、宝飾品店に並ぶ有名な人と山奥に沈んでいるかもしれない無名な人の間にはとんでもないハードルの差があると思いませんか?
無名な原石を有名な宝石にするまでにはとんでもない労力が
自分を原石だと思うようになれば、どうやれば売れる有名な宝石にステップアップできるのか、自分が今どんだけ不利な状況にいるのか理解できてくると思います。
原石ができることはひとまず発掘して、人の目が触れる場所まで運び出す必要があります。ただ原石を人の目に触れるところにそのまま持って行っても、基本的に誰も見向きもしないでしょう。
稀に原石を専門で扱う職種の人もいるかもしれませんが、誰彼構わず知られたい!有名になりたい!と思うのであれば原石でいるわけにはいきません。
一度有名な人がどれくらい仕事しているか考えてみましょう
ひとつ考えて欲しいことがあります。まだ無名だと思っているあなたや私ですが、それとは対照的な有名な人は今現在どういった活動をしているのでしょうか?
案外自分にばかり意識が行くあまり、比較対象に上がりがちな有名な人がどういった活動を今現在しているのか意識していない人も多いです。
ぶっちゃけ無名な人よりも有名な人の方が、磨かれ続ける時間や発信している時間は極端に多いです。なんといっても有名になると誰もが放っておいてくれませんからね。
自分に残された時間をせっせと使って発信しているように感じている無名なあなたや私たちでも、それとは比較にならないくらい有名な人は発信することや自分磨きに時間を使えているんです。
ある意味でプロとアマチュアの違いとも言えると思います。プロはそれを専門で生活が成り立つようになっている専門職です。逆にアマチュアはというと、プロとは比較にならないほど時間を費やす余力がありません。そして費やした時間で生活が成り立つ人というのは完全にイレギュラーな低確率なくらいのレベルです。
本題に戻って無名な人が発信活動を継続する意味
本題に戻りましょう。無名な人が発信活動を継続する意味について考えてみましょう。
先ほども話した通り、今現在原石である無名な人が有名になるまでには途方も無い労力が必要です。ひとまず自分が原石であると認識してもらえる場所まで運び出す必要があります。その上原石のままではほとんどの人に見向きもされません。
私のこの投稿も正直世の中のほとんどの人に見向きもされません。それ自体は今まで2年以上も低空飛行で活動していたので私自身が一番理解している部分です。
正直この低空飛行状態が一番辛いです。なんといっても有名になりたくて活動を継続しているのに、時間も暇もお金を費やしても、はっきりいって有名になるなんて夢のまた夢なんです。
そんな辛い無名な状態でありながら、こういった発信活動を継続する意味にどういった意味があるのかという話ですよね。
原石が宝石になるためにはどうするのか?まず加工できるところまで運び出す必要があります。運び出すところか掘り出す必要もあるかもしれません。
原石を掘り出して加工できるところまで運び出したとしても、そのままではまだほとんどの人に相手してもらえません。原石が人の目に触れるためにする次なるステップは原石の加工です。
発信活動を継続するポイントは、この原石の加工と近いものがあると私自身は考えています。削り出しや磨きというところが原石の加工にあたる作業工程だと思いますが、誰にも見向きもされない発信活動は、この無駄な部分の削り出しや磨きに近いものがあると思います。
芸人のヒロシさんがとあるインタビューで「無名な時の失敗なんて誰も見ていない」というのが私の印象に強く残っています。私自身もいろんな媒体で発信しているので、発信している本数でいうと軽く数百というコンテンツを発信しています。数の中には見られているものもあるようですが、大半のコンテンツは正直光も当たらず、地中深くに埋まっているように感じます。
私自身はあまり恥ずかしいという感情が皆無な人間なので、失敗して恥ずかしい。とか、見るに耐えないものは世に出せない。といった感情がありません。ぶっちゃけ他人の感情なんてどうでもいいという私自身のエゴがある気がしますが、有名になってから失敗したり大ゴケしたりという大失敗は、大半の人が恥ずかしいと感じる部分でしょう。
この恥ずかしいという失敗を無名なうちに死ぬほど経験できると思えばどうでしょう?
これほど無名なところが優位なポジションだとは思いませんか?
一度スポットライトが当たると良い部分しか見られない
有名になったり知名度がついてくると、ある程度荒削りでもクオリティは一定のレベルまで上がっていると思います。
最近ではSNSやTikTok、YouTubeなんかを見てみると昔の恥ずかしい投稿は目にするのが難しい状況になっていると思います。ましてや再生回数や視聴数が伸びるコンテンツというのは媒体の方でも意図的に見せに来る傾向があります。
なので一度スポットライトが当たるようになると、必然的に見られるものは誰もが見たいコンテンツやすでに見られているものや売れているものに注目が集まるという感じです。
ドンドン活動を進めた方がいい
私も停滞気味の発信者ではありますが、発信を継続していて思うのでは、過去の発信のあれこれを悩むよりも次の発信に全力を追求した方が超効率的だと思います。
今現在の各媒体の発信状況にもよるところもありますが、過去の失敗には誰にも見向きもしないですし、昔の発信よりも今の発信に新鮮味を感じて見られる傾向が強いです。
視聴者や読者自体が最新のものやみんなが見ているものを意識しているのに、発信者側が見られていないコンテンツに意識を集中したり、失敗したコンテンツの改善点をくよくよ思い悩むのは時間効率が非常に悪いです。
今は正直発信者過多な時代です。ぶっちゃけ今後はこの流れがさらに加速します。私の勝手な読みですが、将来的に1人が1コンテンツを所有するのが当たり前な時代になると予想しています。今はその序章です。(車の一家に1台が今は1人1台みたいな感じに似ています)
初期段階で発信していた人は〇〇ドリームを掴んだ!と持て囃されていますが、それは今も変わらないと思います。今も変わらないというのは、未来から見て今現時点はあの時に活動していた!という優位性があるポイントだからです。
だから失敗することもどうでもいいし、見られないこともどうでもいいです。大事なのは自分の発信力をドンドン鍛えていくこと。自分の得意分野をドンドン洗練させていくこと。
早いも遅いもありません。時間の流れで言えば今現時点が現在最速です。始めたものが優位なのが今の発信界隈です。
発信コンテンツの優位性
これは私自身も非常に認識しているポイントでありますが、発信コンテンツの優位性はストック型コンテンツであるということです。
塵も積もれば山となるという言葉がありますが、発信コンテンツは基本的にこのちりつもと同じ現象になります。
たとえば1年前に発信したコンテンツで、今現時点では正直見向きもされていないとします。そういったコンテンツでも、実は1年後の今になってからいきなり視聴が開始されたり、長時間視聴されるコンテンツになったりといきなり成長するコンテンツが存在するんです。
発信型コンテンツは基本的に自分でコンテンツを削除しない限り、常に世の中の目につく場所に残り続けます。これは自分が休もうが、サボろうが寝ていようが遊んでいようが関係なくです。
発信型コンテンツの強みのその2は、発信者の時間帯の都合は一切関係がないことです。1度発信してしまえば、あとはコンテンツ利用者の好きなタイミングで利用できること。そしてコンテンツ利用者の都合は発信者とは関係ないということです。
たとえばセミナーみたいな対面式の場合を考えてみましょう。話をする発信者はリアルタイムで目の前にいるものの、一度話した内容を何度も繰り返し聞くというのはなんともお願いしにくいことも多いです。質疑応答も考えてみましょう。セミナーの場合の質疑応答であれば、基本的にその場にいた人しか質疑の内容を確認できません。それが発信型コンテンツの場合にはいつでもその内容を後から参加した人も確認できるというわけです。
まぁ端的に言えば、発信型コンテンツは時間の縛りを取っ払う画期的な仕組みともいえます。発信者側は1度コンテンツを発信してしまえば役目としてはひと段落。利用者側は発信者側の都合に関係なく、いつでも何度でも利用できる。
最後に
今回は無名な人が発信活動を継続する意味ということで、1記事準備させてもらいました。私自身も無名な発信者その1ということで、リアルな無名な人の話も交えながら書かれているのではないかと思います。
私自身も無名な状態を継続しているわけですが、そんな状態でも発信活動がいかに優位なポイントがあるのか、そして時間という縛りを超越した非常に画期的な仕組みを手軽に活用できるのかといったことをまとめられているのではないかと思います。
少しでも参考になる話が書かれていれば嬉しいです。
長くなりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。